2015年改正
ダンスが戻る流れの制度的な転換点を、法律の側から整理する。
ダンスは、ある日突然ゼロから戻ってきたわけではない。 実際にはずっと夜の現場に存在していた。 それでも2010年代半ば、日本では「踊れる夜」が 文化としても制度としても、ようやく少しずつ正面から認められ始めた。
「日本にダンスが戻る」という言い方は、少し劇的すぎるかもしれない。 なぜなら、ダンスそのものは消えていなかったからだ。 クラブも、ライブハウスも、夜の小さな部屋も、 ずっと音楽と身体の反応を抱え続けていた。
それでも、この言葉には意味がある。 長いあいだ、日本の夜ではダンスが 「自然な文化」であるより先に、 「管理されうる行為」として見られがちだった。 その不自然さが2010年代初頭に強く露出し、 その反動として、ようやく戻ってきたものがあった。 それが「踊れる夜」の正当性だった。
ダンスが戻ったというより、
ダンスの正当性が、少しずつ公の言葉を取り戻した。
2010年代初頭、日本のクラブ文化は まるで急に違法なものになったかのような空気を経験した。 実際には、問題は新しい法律よりも、 古い規制の論理が急に現場で強く感じられたことにあった。
店には No Dancing の紙が貼られ、 音楽は流れているのに踊ることだけが問題視される。 その状態は、文化としての夜にとってあまりにも不自然だった。 だからこそ、そこから先の変化は単なる法改正以上の意味を持つことになる。
日本の夜にダンスが戻る流れは、 上から自然に与えられたものではなかった。 クラブの現場、DJ、音楽家、弁護士、店の関係者、 そして夜の文化を大切に思う人たちが、 「これはおかしい」と言葉にし始めたことが大きかった。
Let’s Dance 運動が象徴したのは、 単に踊りたいという欲求ではない。 夜の文化もまた都市の文化であり、 音楽に反応する身体を古い風紀の論理だけで縛るのはおかしい、 という主張だった。
戻ってきたものの背景には、取り締まりへの不満を言葉にした現場の圧力があった。
ダンスをただの遊びではなく、都市文化として語り直したことが重要だった。
夜の自由が、少数の現場問題ではなく公共的な文化課題として見えるようになった。
この流れの中で、2015年に法改正が成立し、 2016年には新しい制度が動き始める。 それは、すべてを完全に自由にしたわけではない。 しかし少なくとも、深夜のダンス営業に対して 「条件付きでも正面から認める入口」ができたことは大きかった。
つまり、日本の夜はここで初めて 「本当はあるのに、制度の側では曖昧」という状態から、 一部ではあっても「あるものとして扱う」方向へ進み始めた。
ここで考えたいのは、実際に戻ったのは何かということだ。 それは、単に深夜の営業許可だけではない。 夜の空間で、音楽に合わせて身体を動かすことが あからさまな矛盾の中に置かれ続ける状態が、 少しだけほどかれたことだ。
だから「ダンスが戻る」とは、 法律の文言以上に、空気の変化を意味する。 店の中の緊張、入口の貼り紙、現場の後ろめたさ、 そうしたものが少しずつ薄れていく。 その変化こそが、歴史として大きい。
戻ってきたのは、
営業時間だけではなく、
夜の文化が堂々としていられる感覚だった。
もちろん、この物語は単純なハッピーエンドではない。 改正後も条件は残り、小さな店や特定の立地・設備条件には難しさが残った。 日本の夜が完全に何の制約もなくなったわけではない。
それでも、2010年代半ばを境に、 夜の文化は以前よりはっきりと自分の正当性を持てるようになった。 「本当はおかしい」と皆が感じていた時代から、 「変えるべきだった」と言える時代に移った。 それは大きな差だ。
夜の文化が戻る前には、まず夜の文化が自分で自分を守ろうとした運動があった。
現在の日本のクラブ空間の見え方は、この「戻る過程」を抜きにしては語れない。
六本木のような街では、この「戻る」感覚が特によくわかる。 もともと音楽、人の流れ、外国文化、偶然の出会いでできている場所だからこそ、 ダンスを不自然に抑え込む時代の違和感も大きかった。
だから、六本木でダンスが戻るというのは、 ただ昔に戻る話ではない。 その街らしい自然なリズムが、 少しだけ制度の側にも認められるようになったということだった。
「日本にダンスが戻る」という言葉は、 単に法改正の見出しではない。 夜の文化が、自分たちの存在理由を少しずつ取り戻していく歴史の名前だ。
clubs.co.jp では、その戻り方を残しておきたい。 日本の夜は止まっていたのではない。 ただ長いあいだ、説明を強いられていた。 そして2010年代半ば、その説明の仕方が少し変わった。