風営法とは何か
改正を理解する前提として、そもそも風営法が何を規制してきたのかを整理する。
日本の「踊れない国」というイメージを大きく変えたのが、 2015年の風営法改正だった。だがこの改正は、単純な全面解禁ではない。 何が変わり、何が残り、なぜそれでも大きな転換点だったのかを整理する。
日本のクラブ文化を語るうえで、2015年改正は避けて通れない。 なぜならそれは、長年「当たり前の矛盾」として存在していた状況に、 初めて大きく手を入れた出来事だったからだ。
長いあいだ、ダンスは風営法の枠組みの中で扱われ、 深夜の営業やフロアの扱いが、警察の運用次第で急に厳しく見られることがあった。 その結果、店の入口に「No Dancing」の紙が貼られ、 音楽は鳴っているのに踊れないという奇妙な風景が現れた。
2015年改正の意味は、
「踊りを完全に自由にした」ことではなく、
「踊りを公然たる矛盾のまま放置し続けられなくなった」ことにある。
もともとの規制は、戦後の風俗・風紀の発想を引きずったものだった。 ダンスを伴う営業は、長らく「風俗営業」の発想の中で扱われ、 しかもこの古い枠組みは、何十年も必ずしも同じ強さで運用されていたわけではない。
だから現場では、実際には踊れるのに、法の文言上は不安定という状態が続いた。 ところが2010年代に入ると取り締まりが目立ち始め、 大阪や東京などでクラブ摘発が話題になり、日本のナイトライフは急に 「本当に踊ることが問題にされる国」として見えるようになった。
2015年の法改正は、深夜のダンス営業に対して、 一定の条件を満たす営業形態に新しい合法ルートを与えた点が大きい。 それまでのように「踊ること自体が常にグレー」という構図を少し崩し、 条件付きではあっても、深夜のダンス営業を正面から制度に入れ直した。
この改正は2015年に成立し、その後2016年6月23日に施行された。 施行後は、一定の照度や立地、営業区分などの条件のもとで、 朝方までの営業を認める新しい仕組みが整えられた。
踊る現場は存在していたが、法的には不安定で、運用次第で摘発の対象になりえた。
深夜のダンス営業に対し、一定条件を満たせば正面から許される経路ができた。
改正後も、照明や区分、営業条件などのハードルは残り、すべての店が自由になったわけではない。
ここが重要だ。2015年改正は象徴的には大きかったが、 現場のすべてを一気に救ったわけではない。小さな店や、 建物条件・照明条件・営業形態の制約にうまく当てはまらない店には、 引き続き難しさが残った。
つまりこの改革は、「ダンス規制の時代が終わった」と言い切れるほど単純ではない。 むしろ、「古い矛盾を少しほどきながらも、依然として細かな管理の発想は残った」 と見る方が正確だ。
この改正は、自然に上から与えられたものではない。 現場の不満、クラブ文化への危機感、そして Let’s Dance のような運動が積み重なって実現した面が大きい。 署名運動は15万人を超える規模に達し、 「踊ることを時代遅れの風紀の問題として扱い続けてよいのか」という問いが、 社会的に無視できなくなった。
ここで大事なのは、これは単なるクラバーの要望ではなかったということだ。 音楽文化、都市文化、観光、若者文化、そして日本の国際的な見え方まで含めて、 風営法のダンス規制は「さすがにおかしい」と広く見られ始めていた。
2015年改正は、法律の文章の変更であると同時に、
「踊ることは本当に取り締まるべきものなのか」
という文化的問いへの答えでもあった。
六本木のような街では、この改正の意味がさらによく見える。 そもそも六本木は、音楽、人、外国文化、偶然の出会い、 夜の流れそのものが価値になる街だった。 そこで「音楽は流れているのに踊るな」という状態は、 現場感覚とあまりにもぶつかっていた。
だから2015年改正は、法律の話であると同時に、 六本木のような街の自然なリズムを少し取り戻す話でもあった。 もちろん完全には戻らない。しかし、少なくとも 「音楽と身体の関係」を正面から制度に戻す第一歩にはなった。
クラブ文化の側が黙らずに声を上げたことが、改正の大きな背景になった。
改正後の意味は、法技術だけでなく、日本が夜をどう扱うかの象徴的転換にあった。
今でもこの改正が重要なのは、あれが単なる一時のニュースではなかったからだ。 日本のクラブ文化は、その前と後で、自分の正当性の語り方が変わった。 「本当は違法かもしれない文化」ではなく、 「社会が制度を現実に合わせて見直すべき文化」として語られるようになった。
つまり2015年改正は、クラブにとっての利便性だけではなく、 夜の文化そのものの尊厳をめぐる出来事だった。
2015年改正は、「日本が突然自由になった」という単純な話ではない。 しかし、「古い風紀の論理だけで夜を縛り続けることはできない」 という方向へ、はっきり舵を切った出来事ではあった。
clubs.co.jp では、その意味を忘れたくない。 なぜなら、六本木も東京も日本のクラブ文化も、 音楽と身体と夜の自由をめぐるこの法改正を抜きにしては、 いまの姿を語れないからだ。